犠牲の上に成り立つ進歩

今週は映画weekでした。

邦画は映画館で観ない!という、基本ルールが私の中にはあるのですが、ジブリ作品は気付いたら足を運んでしまっています。

というわけで、『コクリコ坂から』のお話し。

ストーリーはいたってシンプルです。

その説明は、ホームページにお任せして・・・

私としては、映画を観る時に前もって情報を何も持っていない状態で観るので、色々な場面で色々な疑問に遭遇します。

毎日揚げている旗の意味は何なのか。
少女の名前が「海」なのに、何故「メル」と呼ばれるのか。
そして、ハッピーエンドのなるであろうこの物語が、どのように締めくくられていくのか。

そんなことを考えながら映画を楽しんでいます。

様々な疑問は結局物語の中では明かされないので、自分で再度調べることになります。

それも楽しみであり、調べて映画を思い起こし、またその世界に浸ります。

そしていつかまたDVDや何かのきっかけでそのお話を観た時に、違った楽しみ・感動が味わえるんですよね。


続いて、『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』

この映画は、猿の惑星シリーズ “シーザー”の誕生と起源の物語。

この物語を観ていて終始思っていたことは、医学の進歩を始め、様々な進歩の陰には多くの物言わぬ動物の犠牲があるということを忘れてはならないという事でした。

人は、病気を治す為、その身を美しく保つため、寿命を延ばす為、知能を高める為・・・etc 様々なことに日々、研究に研究を重ねています。
             
そしてそれらが私たち“人間にとって”有効なほど、莫大な富を生みます。

新薬が開発されたり、人間の体内に入るもので新しいものが開発されると、それがどの様に体に影響を及ぼすのか。その実験をされるのは動物です。

動物実験は無くす方向へ動いてはいますが、無くならないのが現実です。

人もまた、亡くなってから、医学の発展のためにと献体としてその身を捧げる人もいます。

皆、命ある生き物なのです。

人間は、“言葉”という、相手に何かを伝える手段を持っています。

誰かに叩かれれば「痛い!やめて!」と言う。
ご飯を食べて「おいしいね」と言う。

動物は、言葉を持たない為、何も言いません。

叩いても、水をかけても、檻に閉じ込めても。身を庇ったり、悲しそうな目はするけれども何も言わないのです。

だからといって、何をしても良いわけではないととても強く感じました。

猿が人間のように言葉と知性を身につければ、人間と猿の立場は逆転。

今度は動物たちの為に人間が実験台にされるかもしれません。

もちろん、『猿の惑星』は映画の中だけの世界ですが、多くの犠牲の上に私達の生活とその進歩は成り立っていることに違いはありません。

“命”の大切さ。そしてその重み。今一度、考えてみませんか?

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