とらトラ虎之助-ニャンでもない日常 それが幸せ-

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<<   作成日時 : 2011/10/06 10:48   >>

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思い起こせば、「他人と自分の違い」というテーマは、ずっと私の心の中にはありました。

幼稚園・小学生の頃、親戚や友達の家へ行けばお菓子が出されます。

他の同じ年頃の子供は、「ダメ」と言われるまで好きなだけ食べます。
それに対し、全く手をつけない私を見て、「遠慮せずに食べて良いのよ」と周りの大人はすすめますが、私にしてみるとお腹が空いていないから食べないだけ。

もともと食が細いタイプなので、周りが心配するほど、必要以上に食べ物を必要としない子供でした。

初めは何も言わなかった大人たちも、次第に「どうして、食べないの?」と言うようになり、「要らないから」と言っても困った顔をするばかり。

そんな日常を送っていた小学校時代のある日、ついに心も体も食べ物を受け付けなくなりました。
「どうして?」に、押し潰されてしまったのです。

一食でようやく食べられるのが、スーパーで売っている100円の羊羹1個だけ。
それも、1個食べられれば好調で、1度に食べられる量はせいぜい半分程度でした。

今思えば、よく生きていたなと思います。

「どうして?」の疑問は、成長するに従って食べ物だけに治まらず、色んな場面で「どうして○○なの?」「どうして××なの?」と友人からも聞かれるようになり、最終的には「この子は周りの子と違うんだな」という結論に至るようでした。

周りからの「どうして“この子”は“周り”と違うんだろう?」は、私の中で次第に「どうして“周り”は“私”と違うんだろう?」という思いに変化していきました。

何でこの人は、こういう考え方しか出来ないのかな?
何でこの人は、こんな言い方しか出来ないのかな?
どうしてこの人は、こういう行動しか出来ないのかな?

そんな疑問をもつ毎日。
しかも、どちらかというと、“イラッ”とするほうの“どうして?”でした。
今は、歳を重ねだいぶ緩和されたと思っていますが・・・

私は周りの人と同じはずなのに、そして、周りの人も私と同じはずなのに。
多少の違いはあるとしても、大きくは変わらないはずでしょ!!??
それが、私の中では“当然のこと”だと思っていましたから。

そんな思いもあり、大学は人間の発達心理学や行動関係が学べるようなところを選び。
結局は全く違う分野に入学することになりました。

生まれてから成長していく過程のどこかに、自分と違う人格形成がされたポイントがあるはずだと思っていたので、それが知りたかったのです。

でも、今思うのは、誕生したその瞬間から、環境も両親も全て人は違っていて、日々の積み重ねも違うのですから、1人1人はどんなに似ていても同じはずはないのだということです。

人が悩みを抱える時というのは、多くは他人との比較からではないでしょうか?

他人と比較して、「努力をするぞ」と、やれば自分は出来るはずだと思え、自己肯定に繋がるようならば良いと思います。
しかし、他人と比較して、「だから自分は駄目なんだ」と、自己否定に繋がるようならばそれは少し見方を変えて欲しい。

例えばもし、他人と自分を比べて自分が劣っていると感じたとしたら、それを理由に「だから自分は駄目」なのではなく、他人と比べて「それだけ自分にはまだ成長出来る幅がある」と考えてみてください。

人と人は違います。
でも、認め合うことも出来るし、受入れ合うことも出来るし、協力する事も助け合う事も出来ます。

それは、違うからこそ出来る事なのかなと思います。

もし、全く一緒であるとしたら、やりたい事・興味のある事も一緒だけど、やりたくない事も一緒。
まるでプログラムされたロボットです。

違うからこそ、色々な人の智慧を集めて新しい考え方や発見、技術の進歩もあるし“変化”や“進歩”が生まれるのではないでしょうか


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